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Eric Clapton [音楽]

 みなさんこんにちは usk です。今回は エリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton) について書かせて頂きます。前回の The Beatles と同様知らない人はいませんね。泣く子も黙る、キング・オブ・ギターです。現在の彼の活動については、様々なメディアを通してご存じだと思いますので、少し昔の彼の半生をご紹介しましょう。
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 エリック・クラプトンは1945年3月30日にイングランドのサリー(Surrey,England)に生まれました。ジェフ・ベック(Geoffery Arnold "Jeff" Beck)、ジミー・ペイジ(James Patrick Page)と共に、3大ギタリストと呼ばれています。彼のギタープレイのすごいところは、滑らかな運指と表情豊かな音色につきると思います。どんな速いパッセージを弾いているときでも、とても速弾きをしているようには見えないという、不思議なスタイリッシュさに満ち溢れています。彼には Slow Hand というニックネームがあるのをご存じですか?ファンならば一度は聞いたことがあるでしょう。スローハンドの由来は諸説ありますが、弦を切ったクラプトンが再登場するまでゆっくりと拍手をしながら待っていた観客の手の動きから付いたニックネームであるようです。1弦なんかよく切れますからね。ステージには毎回新品の弦で挑むのでしょうが、彼のようにガンガンチョーキングすると、プッツン行きますよね。弦は金属ですから疲労しますし。

 クラプトンの功績は、奴隷貿易によって連れてこられた黒人たちが起源の大衆音楽であるブルースを、白人の感覚で解釈し直したことにあると言われています。これをホワイトブルースと言ったりしますね。ブルースの精神をロックと融合させることによって、より広い世界で鑑賞できる音楽に発展させました。また、ギターを単なるヴォーカルの伴奏から脱皮させた功績も大きいでしょう。

 彼のバンド遍歴を掻い摘んで追ってみましょう。代表的なところだけにしますね。一般的に知られている初期のバンドはロンドンでも注目を集めていた ヤードバーズ (The Yardbirds)でしょう。1963年に加入します。個人的な意見ですが、ヤードバーズはバンドは上手ですが、ヴォーカルが…という印象です。クラプトンが埋もれてしまいそうでした。そんな中、クラプトンはポップ路線を志向するバンドと対立し、1965年にバンドを去ることになります。よくあることですよね。「音楽性の違い」ってやつです。
 ヤードバーズ は、クラプトンの関係するバンドということ以外にも、知っておくべきことがあります。前述のジェフ・ベック、ジミー・ペイジが相次いで ヤードバーズ に参加したのです!3大ギタリストを排出したバンドなのです!
 
 ヤードバーズ脱退後、 ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズ(John Mayall & The Bluesbreakers) に参加。ここでクラプトンは、ヤードバーズ 以上にストレートなブルースの世界を追求しています。ここのバンドでの彼の楽曲は、彼の原点みたいなものだと思います。この頃、ロンドンの街中に “CLAPTON IS GOD” の落書きが現れ、ギターの神と呼ばれるようになりました。その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと クリーム (Cream)を結成します。メンバーの即興演奏をフィーチャーした曲調で、たいへんエキサイティングなバンドです。また、クリーム時代には、皆さんもご存じの名曲がたくさんできましたね。 CrossroadsWhite room などはこのバンドでの曲です。しかし、またまたメンバーとの不仲で解散してしまいました。クリームの写真です。右下がクラプトンです。男前ですね。White room 載せておきます。Jim DunlopWAHWAH(音をワウワウ言わせるエフェクター) が出てきます。お手本ですね。
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  クラプトンは新天地を求めてアメリカに渡り、 デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek & the Dominos) というバンドを組みます。デレクでの代表作といえば、そう、クラプトンの代表作でもある いとしのレイラ(Layla) です。私が いとしのレイラ を初めて聴いたのは、確か中学2年生のときでした。ラジオから、あの印象的で突き刺さるような リフ(*1) が突然飛び出してきました。デザートイーグル(*2)の50口径で撃たれたような衝撃を受けたのを覚えています。実際には撃たれてませんよ…。この曲はクラプトンが、大親友であったビートルズのジョージ・ハリスンの当時の妻パティ・ボイド (Pattie Boyd) に恋をしてしまい、そのときの感情から生まれた曲です。歌詞の内容も当時のクラプトンの悩み苦しんでいる気持ちが前面に押し出されています。ちゃんとメロディーだけでなく、歌詞も聴いてくださいね。ビートルズもそうですが、イギリス英語は聴きとりやすいですよ。ちなみにタイトルのレイラとは、ペルシャに古くから伝わる詩「ライラとマジュヌーン」で主人公にめちゃくちゃ惚れられる美女ライラのことです。これ以降ですね、彼が本格的なソロ活動をスタートしたのは。いとしのレイラ 、音源載せときます。


 クラプトンは薬物依存だったことはご存じでしょうか。まぁ、この時代の大御所は皆そういう経験を積んでいますから、驚くことはありません。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ然り、MSGのマイケル・シェンカー然り(2010.1.12の中野サンプラザ、見に行きま~す!)、ビートルズだってそうです。(肯定しているわけではありませんので、あしからず)
上がキース、下がマイケルです。キースはフェンダー テレキャスターのオープンチューニング(*3)を多用し、また6弦は使わないからと言って、張っていないんですね。マイケルにいたっては、ギブソン フライングVをオマタに挟むのが…危ない!また話題をそれて語ることろでした。悪いクセです。
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 1970年代には薬物依存症、1980年代にはアルコール依存症、交通事故、愛妻パティ・ボイド(もらっちゃったんですね、ジョージから)との別離を経験しています。1990年代初めには、イタリア人女優ローリ・デル・サント(Lory Del Santo)との間にもうけた初めての子供コナーがニューヨークの高層マンションの窓から転落死してしまいました。名曲 ティアーズ・イン・ヘヴン(Tears In Heaven) はコナー君に贈られた曲です。数々の災難に遭い人生紆余曲折、そのたびに立ち直り、そうした経験を糧にますます演奏に磨きをかけて、世界の第一線のミュージシャンとして活躍を続けています。
 1991年になると、自らのバンドを従え、ジョージ・ハリスンのバックバンドに徹してツアーに参加しています。この友情、前述の内容から想像できますか?私は涙を流さずにはいられません。親友ジョージの世界ツアーの呼びかけに対して、亡くなった自分の息子の為の楽曲の録音をキャンセル。これはすごい。これぞ親友というのでしょう。皆さんには本当の親友がいいますか?私は…ノーコメント。…ジョージは、これが人生最後のツアーとなりました…。

 まだまだ書き足りないですが、読んで下さっている方が居眠りしてしまうといけないので、クラプトンの半生はこれくらいにしておきます。

 さて、次は彼のギターについてです。2004年6月24日、NYで行なわれたオークションで、エリック・クラプトンのギターが記録的な価格で落札されました。これは、クラプトンが 70年代に使用していた伝説のギター、ブラッキー(Stratocaster,Fender)。当初、15万ドル(およそ1,600万円)程度で落札されるだろうと見込まれていたが、激しい競りの結果、最終的に95万9,500ドル(およそ1億520万円)の価格がつけられました。ギター1本が、ですよ。おったまげますね。ちょっとあなた、あいた口が塞がっていませんよ。あっ、私もです。
(´д`)

 ブラッキー の誕生秘話は面白いですよ。クラプトンはある楽器店に入り、6本のヴィンテージ・ストラトキャスターを格安で購入したそうです。6本のうち3本をジョージ・ハリスン(George Harrison,The Beatles)、ピート・タウンゼント(Peter Dennis Blandford "Pete" Townshend,The WHO)、スティーヴ・ウィンウッド(Stephen Laurence "Steve" Winwood,Spencer Davis Group)に譲り、残された3本を分解して最良のパーツを選び出してこの ブラッキー を組み上げました。この名前の由来は単純です。黒だったからです。同年代のストラトキャスターで黒はオプションのカラーだったそうで、非常にレアなものだということです。バラしたギターが1956年~1957年のものだったので、ブラッキーには明確な生産年がありません。

 それ以前のギター最高価格は、1999年に落札されたクラプトンのブラウニー('56年製フェンダー・ストラトキャスター)で、49万7,500ドル(およそ6,000万円)でした。今回はその倍近くの値がつけられたことになりますね。

 クラプトンが ブラッキー を初めて公衆の前で使用したのは、'73年、友人のピート・タウンゼントが彼のヘロイン中毒克服を支援し開いたコンサートでした。その後、'91年までおよそ18年間愛用されています。最後に使われたのは、日本で放映されたホンダのテレビ・コマーシャルみたいですよ。クラプトンはホンダのリクエストを受け、ブラッキーを使用し Bad Love をレコーディングしました。ホンダさん、にくいことするじゃないですか。そんな粋な企業がなんでF-1撤退したのさ!下の写真はピート・タウンゼントです。ピートはギブソン SGがトレードマークですが、この写真ではギブソン レス・ポールをしょってますね。
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 クラプトンは、愛用のギターが記録的な価格で落札されたことにこうコメントしています。「うれしいね。このギターは自分の一部だった。センターの大きな助けとなるよ」と。センターとは、クラプトンが西インド連邦に設立した薬物矯正施設 クロスロード・センター(Crossroads Center) のことを指しています。オークションではブラッキーのほかに、'64年製のギブソンES-335、'39年のCFマーティン&Co.のアコースティック・ギターなども出品され、それぞれ予想を上回る高価格で落札されています。

 さ、お次は2009年2月の武道館公演のお話です。私が見に行った日はWOWOWのカメラが入った日でした。ほどなくWOWOWで放送されてました。自分が映ってるかな?と一生懸命探すという小市民な行動を取ってしまったことはこの場だけの秘密です。
 入手したチケットはなんとアリーナ!しかも半分より前!すばらしい!チケットが手元に届いたとき、全身に鳥肌が立ち、わなわなしてしまいました。席に着くと、周りはほとんど年配の方ばかりです。そういう世代なんですね。同年代の方もちらほらいましたけど。
 さぁ、わけのわからないBGMが止み会場が暗くなり、クラプトンの登場です。本物です。感動です。生きてるうちにクラプトンを生で見ることができるなんで、生きててよかったーとばかりに立ち上がりました。ん?周りを見渡すとみんなお行儀よく着席しているではありませんか!Oooops!校長先生の話じゃないですよ!このとき気付きました。これはジェネレーション・ギャップというやつでは?と。挙句の果てには、近くの席の年配の男性がお連れさんに「埼玉公演では、居眠りこいちゃったよ、ハハハ」なんておっしゃってました。God damn you!(`・ω・´)!! 世代によって、ライヴの楽しみ方も違うんですね。私は恥ずかしくなり、おとなしく着席しました。バンドのメンバーについては調査不足で臨んだのですが、あのドラマーどこかで見たことがあります。巨漢の黒人のお方。そうだ、ポール・マッカートニーのバンドでドラムを叩いていた人です。いやぁ、フロントマンが一流なら、バンドも一流ですね。以降記憶がありません…。申し訳ありません。

 どうですか?エリック・クラプトン、興味わいたでしょう。皆さん名前は知っているし、有名なことも知っているけど、なんだか食わず嫌いといった感じなのではないですか?私の周りにもそういう方多いんです。試しに聞いてみてください。今までよりもちょっとだけ人生が豊かになりますよ。まずは Layla と White room、Tears in heaven の3曲を聞いてみてください。虜になるはずです。さぁCD屋さんに Let's gooooo! yeahhhh! そういえば、最近CD屋さん減りましたね。みんなレンタルやダウンロードで済ませるみたいです。私は モノ が手元にないといやな性格なので、ダウンロードってのはちょっと。この気持ちわかってもらえます?
こんな素敵な音楽、今聴かずに、いつ聴きますか。

(*1) リフ:その曲を印象付けるフレーズ。おもに前奏部分に現れる。
(*2) デザートイーグル:一般販売される拳銃としては最大の威力を持つ自動拳銃。
(*3) オープンチューニング:ギターの通常のチューニングは6弦から E,A,D,G,B,E であり、複雑な押さえ方でコードを奏でる。それに対して、同一フレットをセーハ(一本指で押さえる)してコードを鳴らせるチューニングを言う。
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