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エイリアン 6 [番外]

 こんにちは、uskです。
桜が満開ですね。日本人には潜在的に桜を愛でる感情が強く備わっていると思うのですが、どう思いますか?新生活の始まりに、年度初めで心機一転頑張ろうと決意したときに咲く桜。私たちのことを応援してくれているような気がします。悩みがあったけど、満開の桜を見てふっ切れた!という方も多いでしょう。

 今日、いやまさか、まさかなぁ、と思っていたことが現実に起きていた!と認識してしまったある事件のご報告です。午前中はジムでトレーニングし、帰宅後天気がいいので中嶋を外に出し、布団を干しました。2時間くらい経って、さて布団取り込むかと窓を開けたら、これでした。

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     寝心地いい場所、見つけたよ

次にご紹介するのは、このときの私と中嶋との以心伝心のやりとりの全貌です。

 私  : それ、人さまのスクーターだよ、中嶋はん。
 中嶋 : 知ってるよ。
 私  : 知ってるなら、降りな。
 中嶋 : なんで?
 私  : そんなクソだっせ~スクーターでも、 持ち主にしてみたら、大切なものなんだよ。
 中嶋 : 大切なものだと、なんで降りないといけないの?
 私  : Oooops!
 中嶋 : ねぇ、なんで?
 私  : あぅあぅ。
 中嶋 : 寝心地いいんだぁ~、ここ。
       みんながお仕事に行ってる時、いっつもここで寝てるんだよ。
 私  : おおぅ。
 中嶋 : いいでしょ~。
 私  : うん、いいとこ見つけたね。
       でも、向こうにある GSX-R には乗らないでね(頼むから!)。。。
 中嶋 : ああ、2010モデルの GSX-R ね!あっちも寝心地いいよ~。
 私  : Oh shit ! ! !

 こうなったら、猫の嫌がる臭気を放つ薬剤を、こっそりスクーターのシートに塗布する他ない、と決意した瞬間です。ホームセンター行こうっと。




最後の砦 自衛隊 [2011.03.11 東日本大震災]

 みなさんこんにちは usk です。今回は、福島第一原子力発電所の3号機への放水活動の中で、2011.03.17 に実施された陸上自衛隊のヘリでの放水についてです。防衛省が定める隊員個人の累積被ばく量である50ミリシーベルトを超える線量の中での任務でした。隊員の皆様には敬服します。


陸上自衛隊と警察庁の合同作戦
 加熱している使用済核燃料を冷却するために、2011.03.17 自衛隊と警察が放水を開始しましたが、警察の高圧放水車では十分に目標へ届かなかったため、作戦は中止されました。その前日までは、東京電力の社員が、懐中電灯の明かりを頼りに暗闇の中で、放射線量測定器の示す数値と時間と闘いながらの決死の作業を実施していました。


熟練隊員
 福島第一原子力発電所に海水を投下したのは、我が千葉県の誇る陸上自衛隊木更津駐屯地の第一ヘリコプター団所属の CH-47 Chinook(チヌーク)(*1) 輸送ヘリです。乗務員の選定には、志願制はとらなかったそうです。技術的に優れた隊員を19名選抜し、任務にあたらせました。
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     CH-47 輸送ヘリ

 「目に見えない危険は確かに怖いが、我々は最後の砦。行けと言われれば何としてでも行く」

これは陸自関係者の発言です。

 「与えられた任務を確実にこなすだけです」

隊員は陸自幹部へこう言い残して任務につきました。


現場上空の様子
 投下前、UH-60 Black Hawk(ブラック・ホーク) という多用途ヘリに東電社員が搭乗し、原発上空の放射線量の調査をしに離陸しました。測定された数値は即座に防衛省へ送られ、それを聞いて折木統合幕僚長は決断しました。

 「投下実施」


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     UH-60 多用途ヘリ


作戦高度には高濃度の放射線
 放射性物質が出ている原発施設への放水作業は未知の領域だったことでしょう。このため、隊員は約6~7キロのゴム製の化学防護服とマスクを身につけ、ヘリ内の座席には放射能を遮断するタングステン製シートを敷きつめました。
 海水を投下した300[ft](約90[m])上空は、直ちに健康に影響はないが、将来的に癌になる危険性が高まる100ミリシーベルトに近い、87.7ミリシーベルト。実際にはそれよりも低い高度での作戦だったようです。隊員たちは胸に線量計をつけ、常時放射能の数値を確認しながら活動しました。防護服を着用しながらで動きが制約されながら、現場上空では速度を落として原発に接近し、3号機のプールを目がけて水を投下しました。その後全速力で現場から退避したということです。

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     バケットを吊り下げたCH-47

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     放水後の衛星写真

 このとき、投下させる高度や時間は機長の判断に任されていたそうです。午前10時の4回目の投下を終えるまで、投下開始から12分間。決死の任務が終わりました。

 帰任後、放射線量の測定を受けた搭乗員はみな1ミリシーベルト以下だったとのことです。これがどういう数字か私にはわかりませんが、確実に言えることは、通常よりもはるかに多い放射線を浴びたということです。後に至っても、健康被害が出ないことを国民は祈っています。



(*1)軍用ヘリの記号には以下のようなモノがあります。
  CH:Cargo Helicopter(貨物・輸送ヘリコプター)の略
  UH:Utility Helicopter(多用途ヘリコプター)の略
  AH:Attack Helicopter(攻撃ヘリコプター)の略
  OH:Observation Helicopter(観測ヘリコプター)の略


見えない敵 -形容しようのない恐怖- [2011.03.11 東日本大震災]

 こんにちは usk です。本日は東日本大震災から11日目です。少しずつですが、被災地への物資や燃料の供給が始まったようです。少しでも早く届けてもらいたいものです。買占めしている人間たちはそんなこと、これっぽっちも考えないんでしょうね。

 今回は、福島第一原子力発電所での決死の地上放水活動を実施した、東京消防庁のハイパーレスキュー隊について、みなさんと一緒に思いをはせます。

 今回の活動は、放水距離ぎりぎりの目標へいかに水をぶち込むかという難しさとと共に、見えない敵との戦いでもありました。ミッションを終え東京へ戻った隊員(隊長ら)の会見をご覧になったでしょうか。「無事にミッションは達成した」と胸を張りながら、「隊員の家族には心配をかけた、お詫びと感謝を」と涙で言葉を詰まらせた。

 各メディアの報道で、どのような作業だったかが少しずす見えてきます。当初の東京電力側からの情報では、水をくみ上げる海側までは車で近づけるはずでしたが、原発内はがれきで埋まり、進入はすぐに阻まれたようです。

 「ホースを手で広げるしかないぞ」

 その夜の作戦会議で、がれきを避け、海から放水車までホースを延ばすには被曝の危険が増す車外で作業を行うしかないという結論に達するまで4時間かかったそうです。海水を 3[t/min] で送出するホースは太くて重い。50[m] で 100[kg] だそうです。これを隊員4名で引っ張っていき、350[m] 分敷設する作業です。被爆の危険がある中で、です。作戦の決行は高山幸夫総括隊長ら約40人の隊員に委ねられました。

 「危険度を熟知する隊員の恐怖心は計り知れないが、拒否する者はいなかった」
 
 「常にそばでバックアップしてくれる仲間がいたからこそ達成できた」

作業は約15分で完了し、屈折放水塔車は白煙を上げる3号機に向け、19日午前0時半、放水を開始しました。20分で 約60[t] を放水しました。
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     これは昼間の活動の写真です


 「必ず帰ってくるから安心しろ」

高山隊長は任務に出る前、このように奥様にメールを送ったそうです。奥様からは「信じて待ってます」と短い返信があったとおっしゃってました。

 「日本の救世主になってください」

これは佐藤部長が奥様に福島行きを伝えたときの、返信の内容です。
この一言。

 会見で、冨岡隊長は「国民の期待をある程度達成できた、充実感がある」と報告する一方で、作戦に従事した隊員について「家族には本当に申し訳ない。おわびを申し上げたい」と涙ぐみました。また隊長は「家に帰ったら家族と酒を飲みながら反省会をしたい」と笑い、佐藤部長は「恐怖心を克服し任務に当たってくれたことに敬服の念を抱いている」と隊員らをねぎらっていました。

 私は、一連の報道、会見を見ていて涙が止まりませんでした。自分だけでなく、部下の隊員を見えない敵の真っ只中へ送り込む隊長の心の葛藤。隊員の抱く計り知れない恐怖。それを押し殺してなんとしてでも達成するという使命感。強靭な精神力。自己犠牲の精神。奥様の、家族を国へ捧げる覚悟。この稿を書きながらも、涙が止まりません。

国民が、プロフェッショナルの仕事を固唾をのんで見守っています。
現場で困難な業務に従事されている、消防、警察、自衛隊の方々が、一刻も早く無事にご家族の元へ帰ることができますように。



東日本大震災 TSUTAYAの馬鹿やろう [2011.03.11 東日本大震災]

 こんにちは、usk です。3 月 11 日 14 時 46 分ごろ、マグニチュード 9.0 を記録する大地震が東北地方太平洋沖で発生し、停電や火災、津波などの甚大な被害が生じました。
 この大地震で亡くなられた方々のご冥福をお心よりお祈りいたします。それとともに、ご遺族の方々、また被災された方々の一日も早い身体的・精神的な復興を、微力ながら応援いたします。

 自分には何ができるか…節電や買い溜めをしないことくらいしか思いつきません。なんと無力なのでしょう。なにもできない自分が悔しいです。

 さて、地震発生当日(だったかな?うろ覚えです)の、あの TSUTAYA の公式ブログに、次のようなツィートが載りました。

@tsutaya_2808 【阿佐ヶ谷ゴールド街店】 営業開始しました!テレビは地震ばっかりでつまらない、そんなあなた、ご来店お待ちしています!


みなさん、どう思いますか。
そして、その謝罪文がこれです。

先ほどは不謹慎な発言してしまい申し訳ございませんでした!気分を害された方たいへんもう申し訳ございませんでした!!!!!!!


これが謝罪?

 私、当該店舗に電話して店長と会話し、事実かどうかを確かめました。Twitter は匿名のアカウントゆえ、気の小さい人間による「なりすまし」が非常に多いためです。
 問い合わせの結果、この投稿は事実であることがわかりました。若いバイト店員の仕業とのこと。店長はその時不在だったため、投稿前のチェックができなかったと、泣きそうな声で私に語りました。
人間未満の生物を雇った責任は、やはり店長にあります。

私は決めました。
金輪際、TUTAYA は利用しません。
消えてなくなるよう、祈ります。
制裁が必要です。


バイト店員のご両親へ
あなた達、とんでもないモノを生産してしまいましたね。


ガンシューティング [番外]

 みなさんこんにちは。uskです。2010年ももうじき終りです。お正月など私にはなんの重要性もありませんが、いやでも訪れるので仕方なく受け流します。でもお餅を食べられるのはうれしいです。亡くなったばぁちゃんがふかしたもち米は、うまかったなぁ。鰹節をのせて醤油を少しかけて食べるのが好きでした。ばぁちゃん、俺は元気でやってるよ。

 さて、先日会社の同僚と、東京都グアム区へ行ってきました。目的は射撃です。リゾートや充実したホテルライフなど、私は一切興味ありません。撃って撃って撃ちまくるために行ってきました。と言いつつも、観光もしましたし、海で泳いだりもしました。せっかく行ったんですからね、やっぱり。この海、見てくださいよ。国内も面白いところはたくさんありますが、この現実離れ感はなかなかね。

sea.JPG

 射撃場は Tactical Outdoor Range,Inc 通称 T.O.R.I. と Guam Outdoor Shooting Range 通称 G.O.S.R. です。グアムには屋外射撃場が現在3件ありますが、そのうちの2件です。もう1件、世界中の射撃場の中でもトップクラスの銃の品ぞろえのところがあるのですが、弾薬価格がべらぼうに高いので、今回はパス。メインは T.O.R.I. だったのですが、M14が撃ちたかったので、翌日 G.O.S.R. にも行ったわけです。

 さて射撃当日、ホテルのロビーで待っていたら、やってきました、お迎えの車。オプショナルツアーなんかをたのむと、きれいなバンで迎えに来てくれるのですが、私たちの乗り込んだのはちょっとくたびれた車。助手席の窓は開きません。

TORIcar.JPG

 ドライバーは レンジマスターフランク (Franklin.C.Rivera) です。フランクはナイスなおっちゃんで、色々教えてくれました。私は自分の中で、拳銃射撃は何はなくともトリガーの引き方に尽きると考えていますが、フランクもトリガーの引き方を細かくレクチャーしてくれました。
 マリンドライブ と呼ばれている、ホテルロードから1本中に入った1号線を南下し、T.O.R.I.のオフィスへ到着しました。窓の全てに超厳重に鉄板が張り付けられており、入口にもセキュリティーシステムが付いています。案内されて中に入ると、ショーケースにたくさんの銃が並んでいます。好きな人は大はしゃぎですよ。私のように。

 フランクが「好きな銃を持って、ドライファイヤー(*1)していいよ」というので、遠慮なくさせて頂くことに。今回私は 9mm と .45ACP と 5.56mmNATO弾 を撃ちに来ました。なので、それらの銃を出してもらいます。

9mm
  SIG P226
  GLOCK17

.45ACP
  COLT 1911
  Kimber Custom Target
  SFA 1911 Custom
  GLOCK21

5.56mmNATO
  COLT M4

 やはり、お気に入りは変わりませんでした。9mmではSIGのP226が一番しっくりきます。うまい人は、グリップ形状やトリガーのストローク、トリガーの重さなど気にしないようですが、私はそうはいきません。.45はKimberのガバメントモデルが好きですね。自分の好みに変化がないことを確認し、連れとカブらないようにチョイスしました。銃の交換や弾薬のシェアは自由とのことなので、カブらないように選べばそれだけたくさんの種類を撃てます。奥が P226、左が GLOCK17、右が BerettaM92FS です。

3guns.JPG

 そしてこれは、COLT社 の M1911(ガバメント) のコピーモデルたちです。私の好きな45口径です。本場ではCOLT社 のものより、コピー品の方が高性能で人気があるそうです。右側の Kimber 製のものなど、気持ちいいほど良く当たりました。もはやコピー品とは呼ばれず、地位を確立しています。競技用などに多用されています。

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 これがM4。アサルトライフルですが、民間用なのでセミオートマティックです。米軍が使用しているモデルですね。戦争映画などでよく見ます。

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 この後、弾薬の確認と支払を済ませて、フランク号で出発です。連れの一人が 38special を撃ちたいとのことだったのですが、弾薬の在庫がないため銃砲店に立ち寄り購入ました。そしてターゲットにするコーラ(24個入りで$8!安いやんけ!)をコンビニで購入し、レンジへと向かいます。

 ここがレンジです。ジャングルを切り開いて作られたようです。ここのレンジはグアム最長で、65mあります。

range.JPG

 こちらは射撃テーブルです。一応仕切りはありますが、肝心のアクリルが取れている箇所がほとんどなので、左隣から薬莢が飛んできて熱いです。

table.JPG

 コーラを並べました。

cola.JPG

 写真を撮っているうちにフランクが弾薬を配膳してくれたので、各々箱から出して並べてみました。

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 ちょっと少なかったかな?と思いますが、$に限りがありますゆえ、今回はこのあたりで勘弁することにしました。マガジンに弾を込めて、銃に装填して、スライド戻して、どーん!楽しいですね。コーラの缶は並べる前に思いっきり振ってますので、命中すると中身がプシューっと飛び出て面白いです。

 ただ、これはテーブル射撃と言って、じっくり狙って撃つことができるので、命中させるのはそれほど難しくありません。難しいのは、移動しながらの射撃です。T.O.R.I.では CQB の練習をさせてもらえます。CQB とは Close Quarters Battle の略で「近接戦闘」、「閉所戦闘」などと訳されます。フランクの号令とともに、足音をたてないように素早く移動しながら、ターゲットに2発づつ撃ちこみます。素早く2発撃ちこむことを ダブルタップ と言います。
 これがなかなか難しいんです。ゆっくり移動しながら、ゆっくり狙って撃てば真ん中らへんに命中させられますが、それだと CQB の意味がありません。素早く移動しながら素早く打ちこまねばなりません。テーブル射撃がうまい人でも、移動しながらというのは難しいはずです。狙いが定まりませんから。まだまだ課題は多いです。


 最後にパチリ。いい汗かきました。フランク、ありがとう。代表の TAKAさん もいろいろお世話になりました。ありがとうございました。

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 右から2番目がフランク、左から2番目が私、両端は私の同僚です。フランク、上半身裸です。銃の配置が終わったらもう裸でした。。。フランクだけにフランクです。私はこういうノリは好きですね。

 最後に、こんな100%自分の趣味遊びに行かせてくれた妻に感謝しています。アウトドアでの実弾射撃と聞いて、恐ろしいと思ったことでしょう。何かの間違いで怪我をするかもしれないと思ったことでしょう。止めようと思ったことでしょう。それでも理解してくれて行かせてくれました。本当にありがとう。
 聞きたくないかもしれないけど、言います。

また行く。ごく近い将来。


(*1)ドライファイヤー:カラ撃ち

エイリアン 5 [番外]

 こんにちは usk です。私は11月末から12月の初旬にかけて、毎年ソワソワしてしまいます。11/2612/2、それと 12/8 は特に。なんのことだかお分かりになりますか。

  '41年11月26日 : 日本海軍機動部隊が真珠湾へ向けて択捉島の単冠湾を出発した日
  '41年12月02日 : 機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」(*1)の
               暗号電文が発信された日
  '41年12月08日 : 「ト・ト・ト・・・」(*2)から「トラ・トラ・トラ」(*3)まで、真珠湾急襲の日

 私たちは今、平平凡凡のんべんだらりと生きています(昔の人と相対的に)。この平和があるのは、 ハル・ノート に対して奮起した先人たちのおかげです。先人が立ち上がらなければ、今頃日本はアメリカ・イギリス・中国・オランダ・ロシアの 領土 になっていたことでしょう。
 これらの近代日本史は、別の機会に改めて記すことにします。勉強すればするほど、アングロサクソンが嫌いになります。

 さて、先日中嶋を病院に連れて行って、点滴と注射をぶってきたのは前項の通りですが、現在は療法食で健康を維持しております。頻尿の気配もなくなり、元気そのものです。こんな格好で寝ていますよ。まったく警戒心のない奴です。

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 かわいいもんですね。動物はみなかわいいです。


(*1) 「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意
(*2) 「全軍突撃」の意 → "ト"の連続送信
(*3) 「ワレ奇襲ニ成功セリ」の意

エイリアン 4 [番外]

 こんにちは usk です。もう師走ですね。月日の経つのは本当に早いです。人間の寿命はたかだか80年くらいでしょうから、言い換えるとすぐ死んでしまいますから、小さいことにとらわれず充実した生活を送りたいものです。

 さて今回は中嶋の近況報告です。先日、仕事から帰ったら中嶋がトイレに入って踏ん張っていました。あのスタイルは小さい方をぶっ放すときのものです。数分踏ん張ってトイレから出てきましたが、どうやらオシッコは出ていない様子。一寸経ってまたトイレに入り、同じことの繰り返しです。オシッコは溜まっていないのに、残尿感があるためこの行為を繰り返すのでしょう。

 かわいそうなので、夜でしたがお医者様に診てもらうべく、掛かりつけの動物病院へ連れて行きました。中嶋はこちらの病院では、その名前と珍しいほどおとなしい性格から一目置かれており、中嶋氏と呼ばれ人間のように扱っていただいています。

 先生の触診ではオシッコは全然溜まってないとのこと。尿道に管を入れてオシッコを採取してもらい、成分の検査と顕微鏡での検査をして頂きました。私も顕微鏡を覗かせて頂きましたが、塩粒のような四角い粒が散見されました。これは 尿結晶 と言って、猫下部尿路疾患(FLUTD) という病気の原因の一つである、ストルバイト尿結晶 というものだそうで、石ではないとのことです。さらに尿道や膀胱にホンマもんの石がないかどうかの確認のため、なんとレントゲン撮影。人間みたいですね。出来上がった写真をパソコンで見せて頂いたとき先生の初めの一言が面白かったです。

  「おっ、ウンコいっぱい溜まってるね!!」

先生、膀胱とか見てよ、膀胱とか。。。

  「膀胱ちっちゃいねー」
  「中嶋氏、骨盤が狭いな君!」

 やはりオシッコは全然溜まっておらず、また、尿石も見当たらないそうです。あぁ良かった。胸を撫で下ろしました。この後、注射を2本ぶち、オシッコをたくさん出すために背中に点滴をぶち、水分をたっぷり投入しました。そのときの様子です。

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 こんなときでも落ち着きはらっている。コイツは大した猫だと思います。
この後色々と説明して頂き、お会計とあいなったわけですが、17,000円ほどかかってしまいました。そのとき持ち合わせが10,000円しかなく、とても恥ずかしかったです。診察中からイヤな予感はしていましたよ確かに。レントゲンや点滴、注射ですからね。有り金全部納めて、翌日残りを払いにいきました。

 診療時間が終わった後、夜間帯に対応していただいたのですが、いやな顔ひとつせず丁寧に診察してくださった先生に心から感謝しています。一人で診察~レントゲン~点滴~会計までやっていてとても大変そうでした。。。ありがとうございました。

 先生、内緒にしておこうと思いましたが、私にもいささかの良心がありますので、白状します。先生がレントゲンの準備をされているとき、中嶋は診察室の観葉植物の陰でオシッコをしてしまいました。少しだけ、床に。。。こっそりアルコールをお借りして、掃除しておきました。ごめんなさい(中嶋)。

Nikon F [カメラ]

 こんにちは usk です。お久しぶりです。私の住む千葉県は比較的温暖な気候ですが、さすがに最近は寒くなってきました。皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか。風邪などひかないようにご自愛くださいませ。
 さて、今回は Nikon D90 に続きカメラの記事を書かせていただきます。はい、こちらです。
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 どうです?かっこいいでしょ。これは Nikon F (ニコン エフ)というモデルで、1959年に発売されました。私の固体は、シリアルナンバーから1962年製であることが分かっています。約50年も前のカメラです。 「Nikon」 のロゴでなく NIPPON KOGAKU TOKYO のロゴが古さを物語っています。シャッターボタン前の三角マークのことです。ちょっと見えずらいですか。

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 この F について、簡単にご説明させていただきます。"簡単に"と言いながら長々と書いてしまう私ですが、一応私も学習機能を備えておりますゆえ、ご安心ください。皆さんが眠くなるかどうかのところで止めますから。。。
 さて、この F ですが、完全メカニカルの完全マニュアル機です。なんのこっちゃ?と言う方のために補足しますと、電子部品が一切搭載されておらず、機械の構造で全て動いています。歯車やカム、レバー、スプリングなどを組み合わせた機構で撮影のための動作を行います。これが メカニカル = 機械式 ということです。また、次に述べるような写真を撮るときに行う作業を全て 手動 = マニュアル で行います。
   ・シャッタースピード設定
   ・絞り設定
   ・ピント合わせ

 皆さんがお使いのコンパクトデジカメは完全自動で、カメラが全ての設定・操作をしてくれます。撮影者は何も考える必要はありません。また、一眼デジタルもオートの選択ができますね。シャッターチャンスを最優先にしなければならないとき、一眼ユーザーでもオートの設定を使用するときはあるでしょう。しかしこの F はそうはいきません。全て自分で設定・操作しなければなりません。これが短所であり長所なのです。まぁ、短所と思っていればそんなもん使わないわけで、使っているということは長所と思っているということです。

 ついこの間、写真を撮りに鎌倉へ行ってきましたが、大変 めんどくさかった 充実しました。フィルムを…おっと、これフィルムカメラですからね。今のお子様はフィルムを知らないそうです。お父さん、お母さんがコンパクトデジカメでばっかり写真を撮ってるもんだから無理もありません。私はそんなことしたくないですよ。大事な家族の写真を、こともあろうに電子データなんていう素っ気無い形で残すなんて、嘆かわしい(←これはあくまで私見です。地球の人口60億人の中の私一人がこう言っているだけです。コンパクトデジカメも用途によっては便利で優れものであることは疑いようのない事実です、一般的に)。そうそう、これに似た話題で、都会のお子様たちはカブトムシはお店で買うものだと思っているそうです。朝早起きして森にカブトムシやクワガタムシを捕まえに行ったことがないんですね。嘆かわしい。そんなんだから、キレてすぐ人を刺すお子様になっちゃうんですよ。あとゲームと漫画ね。20歳過ぎてもこれらを手放せない人を私は信用できません。親の責任とは途方もなく重いと思う今日このごろ、私は果たして良い親になれるのだろうか。
 はぅあ!また話がそれた。北鎌倉の円覚寺というお寺で、幼稚園でしょうかね、運動会をやっていました。お父さんの運動不足っぷりが全開で大変愉快でした。鶴岡八幡宮では結婚式をやってましたね。勇気があるなと思いつつ見入ってしまいました。お二人さんに2回目が来ないことを祈ります。鎌倉で撮った写真は近々データ化してアップする予定です。デジカメ写真はまったく奥行き感がありませんが、フィルムの写真は奥行きと生々しさが感じられます。PC画面で伝わるか分かりませんが、試しに今度。

 このカメラのチャームポイント、それはここ!!。

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 とんがり帽子。つっとんがってます。この中にはプリズムが入っていて、レンズからの入射光が2回反射してファインダーから出てきます。レンズ直後のミラーでの反射を入れると、カメラ内で合計3回反射します。ちなみにプリズムには、反射させるためにが蒸着されています。最近の安カメラはアルミ蒸着です。それどころか、中は空洞で鏡だけってのもありますよ。そこからすると金かけてますね。それもそのはず、Nikon の F 一桁シリーズ(F F2 F3 F4 F5 F6)は Nikon のフィルム一眼のフラッグシップだからです。他に FM や EM というモデルもありましたが、これらは少々下ランクのカメラです。それぞれ特徴があり良いカメラだとは思います。
 F一桁シリーズのいいところは一貫してファインダーの視野率が約100%です。つまり、撮影者がファインダーから覗いたものがそのままフィルムに撮像されるわけです。え?じゃぁ100%じゃない機種があるの?とお思いでしょう。あるんです。大抵が90数%なんですよ。覗いた像より実際には少し広い範囲が映るんです。ははは、イヤになっちゃいます。
 さらにもう一ついいところは、ファインダーが交換できるんです。写真のファインダーは アイレベルファインダー と言います。目の前に(普通に)構えて覗くからアイレベル。このほかに ウエストレベルファインダー や アクションファインダー などがあります。前者は腰のあたりで構えて、上からカメラを見降ろす感じでファインダーを覗きます。2眼の ローライフレックス みたいな体勢ですね。後者はファインダーから少し顔を離しても覗くことができるタイプです。メガネを常用している方などには便利かもしれません。

 このように、F一桁シリーズはプロユースに耐える性能を持っています。はいはい、私はド素人ですよ。すみませんね、生意気言って。言われる前に言ってやった。ふふ。
 F はプロ写真家 / プレス向けとして発売されましたが、なるほどかなり重たいです。機械がぎっしりつまっているんだなという感じ。よくベトナム戦争の映画で従軍カメラマンが持っていますよね。私このカメラは当然中古で入手したのですが、購入後すぐにオーバーホールに出しました。Nikon のサービスに問い合わせたところ、オーバーホール可とのことでした。50年も前の製品を扱ってくれるところなんて、Leica と Nikon くらいではないでしょうか。素晴らしいです。しかし、ある部品がないとのことでしたので、泣く泣く他の業者を探すことになり、東京は西大井にある フォト工房キィートス さんに入院させることになりました。こちらは Nikon で長年修理を担当していた方が退職後立ち上げた、Nikon 専門の修理会社です。電話でいろいろと親切に教えてくださり、細かいオーダーにも対応して頂きました。オーバーホールの出来は完ぺきで、新品のようになって帰ってきました。末長く続けていただきたいものです。

 さてみなさん、フィルムカメラに興味が沸きましたね。フィルムを入れて、露出を決め、ピントを合わせてシャッターを押す…楽しいではありませんか。その後プリントが出来上がるまでのドキドキ、楽しいです。始めてみませんか、フィルムカメラ。これから購入しようとされている方に一言。機械式マニュアル一眼の世界最高傑作は、 Nikon F2 と言われています。私もそう思います。
 でも、コレクション地獄には落ちないようにしてください。機械式カメラはきちんとメンテナンスしていれば、人間よりも遥かに長生きします。孫、ひ孫の代まで受け継ぐことができます。ということはですよ、次の代に受け継いだとして、受け取った人がカメラに興味がなかった場合、簡単に売り飛ばされたり、最悪捨てられたりする可能性があります。そうなると、せっかくの革新的(当時)技術を身にまとった芸術品が泣きます。何が言いたいかというと、私たちオーナーは、奇跡的な芸術品を地球上で大切に受け継いでいく義務を個人で請け負っているわけです。国はやってくれませんから、私たちがやるほかないのです。だから、コレクションに走らないでくださいと言ったわけです。

エイリアン 3 [番外]

 こんにちは usk です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。私、タバコを吸うのですが、タバコが値上がったとき一時的に禁煙をしていました。しかしテレビで尖閣諸島の報道を見ていたら、もう中国が堪忍ならず、イライラし出して吸ってしまいました。パンダもらって、お金と尖閣を渡すんですね、わが国は。情けない。誤解を恐れず言いますが、あの国は……やーめた。あんな国のことを記述すること自体スペースの無駄でした。。。

 さて今回は中嶋の近況をお届けしようと思います。中嶋は順調に太ってきています。我が家にやってきてからはや11ヶ月弱、どんどんおなかが膨らんできました。以前は「女性だから、ご懐妊なのかな」と思っていて、里親探しのサイトに登録などしていたのですが、ちょっと待てよと。我が家でおしっこはしますが、大きい方をしているところをあまり見たことがないのに気づき、病気とご懐妊の可能性を疑い、動物病院に連れて行きました。入念な触診の後、出ました!必殺のエコー機登場です。ここが膀胱、ここが肝臓…と解説してくれますが、さっぱりわかりません。結果、ご懐妊ではなく、ただのデブでした。
 この後、ノミ取りの薬とうんちのチェックなどをしていただき、病院を後にしました。ただのデブだったとはね。初めのころ我が家に出入りするときは、ベランダの柵の間をすり抜けていたんですが、最近おなかがつかえてる様子なんですよ。最近はもっぱら柵を飛び越えてきます。

 ここで問題。これはなんでしょう。

CIMG1628_2.JPG

 正解は、これです。

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 にゃんにゃんタワーの穴ぼこから、中嶋氏の出っ腹がでています。デブちんですね。まぁこれくらいの方がかわいいですけどね。

 この前近所の公園に中嶋氏を連れていきました。猫ちゃん用のハーネス着けて。変ですか?やっぱりちょっと変ですよね。そのときは気づきませんでしたよ。はは、恥ずかしい。そのときの写真がこれです。猫好きの方の癒しになれば幸いです。

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     んん?なんだあれは?


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     ふぅ、疲れたわい。人間の相手も楽じゃねぇや。


 今回はたいしたテーマではなく、中嶋氏の近況報告でした。たまには軽い内容でもいいかなと。

コリン・マクレー [モータースポーツ]

 こんにちは usk です。新年明けましておめでとうございます。今年の初投稿です。今年も、皆さんにとってよい年でありますように。私にとっては、もっとよい年でありますように。なんつって。
 今回は私の大好きなラリードライバーであるコリン・マクレー(Colin Steele McRae, 1968年8月5日 - 2007年9月15日)について書かせていただきます。なんだか私のブログは焦点が定まらず、記事が色々な方面に及んでいますね。自分でも気がついていますからご心配なさらず。こちらがコリン・マクレーです。温厚そうな感じですね。でも、実際はとっても熱い男なんですよ。いいえ、会ったことはないですがね。
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 コリン・マクレーはスコットランド出身のラリードライバーです。父のジミー・マクレー、弟のアリスター・マクレーもラリードライバーです。ラリー一家ですね。

 ん?ラリーって何?という声が聞こえてきますね。肝心な説明を忘れていました。ラリーとはレースと異なり基本はタイムを競うものではありません。運転を担当する選手(ドライバー)と道案内などを担当する選手(ナビゲーターまたはコ・ドライバー)が2人1組で車輌に乗り込み、与えられたコース図をもとに、決められた時刻どおりにチェックポイントを通過し、そのプラスマイナスの誤差の少なさを競うものです。また、レースと大きく違う点としては、完全に閉鎖されたサーキットではなく、一般的な公道や私道を用いて行うという点が大きな魅力ですね。
 ただし、スペシャルステージ(SS)と呼ばれる制限速度の無い区間は事実上のタイムトライアルです。WRC(World Rally Championship,世界ラリー選手権)や、全日本ラリー選手権をはじめとする日本国内の上級ラリーでは、移動区間以外は、すべてスペシャルステージのタイムトライアルです。私たちがよく目にする映像はすべてこのSS区間の映像です。こんなところを100何十キロのスピードで駆け抜けるんですよ。いやはや、なんとも恐ろしいスポーツです。
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 それでは、コリン・マクレーに話を戻します。彼はリスクを恐れず攻めに徹した走りと豪快なドリフト走行で世界的に人気を誇る他、スバルのラリー活動の黎明期と人気を支え、スバル車の初優勝、3度のマニュファクチャラータイトルをもたらした立役者です。日本のモータースポーツファンの間でも、とても人気のあるドライバーですね。愛称は「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」です。昔のF-1にアンドレア・デ・チェザリスというドライバーがいましたが、彼も壊し屋でしたね。いやぁ懐かしい。

 コリンのラリー初参加は1986年からだったと思います。1986年といえば、映画TOPGUNの公開された年ですね。私はTOPGUNを少なく見積もっても40回は見ましたね。台詞も覚えてしまいました。彼のWRC初参戦は1987年のスウェディッシュ・ラリーです。1991年に皆さんの一番イメージするスバルに加入し、スバル・レガシィを駆って1991年・1992年の英国選手権を制覇、1993年にスバルに初優勝をもたらしています。

 1999年シーズンから新鋭WRカー・フォード・フォーカスWRCを擁するフォードに移籍。しかしここのチームではチャンピオンになることはできませんでした。また、ラリー史上最高額と言われる契約金がフォードワークスの財政事情に大きな負担となり、放出の最大の原因となりました。高給取りだったんですね。高給取りってのは一流の証ですよ。F-1のミハエル・シューマッハ(2010シーズンはメルセデスから復帰します)、俳優のメル・ギブソン、キャサリン・ゼタ・ジョーンズなども高給取りだそうです。
 さぁ、そんなマクレーですが、2003年にはシトロエンから参戦しましたが、シーズン終了後に同チームのシートを失いました。私の素人目線から見ても、精彩を欠いていました。ピークを過ぎた感じがして、寂しく思ったのを覚えています。

 そしてあの悲劇が起こります。2007年9月15日、自宅周辺にて自身が操縦していた自家用ヘリが墜落し、39歳の若さで亡くなってしまいました。このヘリにはコリンの他に5歳の長男ジョニー、ジョニーの遊び友達、マクレー家の友人も同乗していましたが、全員が即死でした…。

 その死はいち早くインターネットで報じられ、フォード、シトロエン時代の同僚であったカルロス・サインツ(この人大好きです)、フォード時代から親交のあったペター・ソルベルグをはじめとするラリードライバーや各ワークスチームなどWRC関係者を中心に、同じスコットランド出身である元F1ドライバーのデビッド・クルサード、WRC参戦の経験もあるMotoGPを代表する選手、バレンティーノ・ロッシ(ロッシはコリンの死の翌日9月16日に行われたMotoGP 第14戦ポルトガルGPの勝利をコリンに捧げた)などラリー以外の多くのモータースポーツ関係者からも追悼の言葉が寄せられたそうです。下の写真は、スペインの英雄ラリードライバー、カルロス・サインツ(Carlos Sainz)です。似ていますが、カルロス・ゴーン(Carlos Ghons Bichara)ではありませんよ。あんな首切り魔とは一緒にしないでくださいね。
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 WRCもF-1も1980年代から90年代前半が面白かったなぁ。人間味あふれるドライバー、チーム…。子供ながらに毎回大興奮していました。今はもうビジネスの比重が高いのか、いまいちのめり込めません。ルールもまったくナンセンスですよね。同じ意見の方は多いはず!おっと、また話がそれました。すみません。 

 コリンといえば豪快なドリフトが代名詞でした。コーナー前からドリフトを開始し、コーナーの道幅を大きく使いほぼ横向きになりながらコーナーを通過し抜けていく彼のスタイルはファンを魅了しました。でも、最近のラリーを見ていると、ドリフトさせるドライバーが減ったような気がします。実際にグリップ走行のドライバーの方が成績がいいんですよね。コリンのようなドライビングは時代遅れなのでしょか。「アクセルでも何でもペダルは床まで踏む」が決まり文句でしたね。ここで、コリンのドライビングを少しだけ見てみましょう。はい、こちらです。片側が崖なのに、がんがん踏んでます。頭のネジが2~3本取れちゃった感じですよ。いやぁすごいです。


 興味ない方も、この映像を見たら少しは興味が沸くのではないでしょうか。一般道ですからね。一般道。助手席に乗っている人が前述のナビゲーターです。コース図を元に、ドライバーにコーナーのR(アール,半径)や左右方向などを伝えたりするのがお仕事です。ずーっと聞こえている声はナビゲーターの声です。ナビはドライバーを100%信頼していないとできない仕事ですね。ちなみに、コースによっては脇に観客が立っているときがありますが、たまに車が突っ込むときがあります。それで観客が亡くなっても、ドライバーの過失は問われません。また、コースアウトした車を観客が協力してコースへ復帰させたりする場面もよくみますね。危険ですが、観客とドライバーが一番近いモータースポーツではないでしょうか。さぁみなさん、DVD買って見たくなったでしょう。早速YouTubeで見てますか?こんな楽しいスポーツ、始めることは不可能でしょうが、今見ずに、いつ見ますか。
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