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コリン・マクレー [モータースポーツ]

 こんにちは usk です。新年明けましておめでとうございます。今年の初投稿です。今年も、皆さんにとってよい年でありますように。私にとっては、もっとよい年でありますように。なんつって。
 今回は私の大好きなラリードライバーであるコリン・マクレー(Colin Steele McRae, 1968年8月5日 - 2007年9月15日)について書かせていただきます。なんだか私のブログは焦点が定まらず、記事が色々な方面に及んでいますね。自分でも気がついていますからご心配なさらず。こちらがコリン・マクレーです。温厚そうな感じですね。でも、実際はとっても熱い男なんですよ。いいえ、会ったことはないですがね。
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 コリン・マクレーはスコットランド出身のラリードライバーです。父のジミー・マクレー、弟のアリスター・マクレーもラリードライバーです。ラリー一家ですね。

 ん?ラリーって何?という声が聞こえてきますね。肝心な説明を忘れていました。ラリーとはレースと異なり基本はタイムを競うものではありません。運転を担当する選手(ドライバー)と道案内などを担当する選手(ナビゲーターまたはコ・ドライバー)が2人1組で車輌に乗り込み、与えられたコース図をもとに、決められた時刻どおりにチェックポイントを通過し、そのプラスマイナスの誤差の少なさを競うものです。また、レースと大きく違う点としては、完全に閉鎖されたサーキットではなく、一般的な公道や私道を用いて行うという点が大きな魅力ですね。
 ただし、スペシャルステージ(SS)と呼ばれる制限速度の無い区間は事実上のタイムトライアルです。WRC(World Rally Championship,世界ラリー選手権)や、全日本ラリー選手権をはじめとする日本国内の上級ラリーでは、移動区間以外は、すべてスペシャルステージのタイムトライアルです。私たちがよく目にする映像はすべてこのSS区間の映像です。こんなところを100何十キロのスピードで駆け抜けるんですよ。いやはや、なんとも恐ろしいスポーツです。
McRae_3.jpg

 それでは、コリン・マクレーに話を戻します。彼はリスクを恐れず攻めに徹した走りと豪快なドリフト走行で世界的に人気を誇る他、スバルのラリー活動の黎明期と人気を支え、スバル車の初優勝、3度のマニュファクチャラータイトルをもたらした立役者です。日本のモータースポーツファンの間でも、とても人気のあるドライバーですね。愛称は「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」です。昔のF-1にアンドレア・デ・チェザリスというドライバーがいましたが、彼も壊し屋でしたね。いやぁ懐かしい。

 コリンのラリー初参加は1986年からだったと思います。1986年といえば、映画TOPGUNの公開された年ですね。私はTOPGUNを少なく見積もっても40回は見ましたね。台詞も覚えてしまいました。彼のWRC初参戦は1987年のスウェディッシュ・ラリーです。1991年に皆さんの一番イメージするスバルに加入し、スバル・レガシィを駆って1991年・1992年の英国選手権を制覇、1993年にスバルに初優勝をもたらしています。

 1999年シーズンから新鋭WRカー・フォード・フォーカスWRCを擁するフォードに移籍。しかしここのチームではチャンピオンになることはできませんでした。また、ラリー史上最高額と言われる契約金がフォードワークスの財政事情に大きな負担となり、放出の最大の原因となりました。高給取りだったんですね。高給取りってのは一流の証ですよ。F-1のミハエル・シューマッハ(2010シーズンはメルセデスから復帰します)、俳優のメル・ギブソン、キャサリン・ゼタ・ジョーンズなども高給取りだそうです。
 さぁ、そんなマクレーですが、2003年にはシトロエンから参戦しましたが、シーズン終了後に同チームのシートを失いました。私の素人目線から見ても、精彩を欠いていました。ピークを過ぎた感じがして、寂しく思ったのを覚えています。

 そしてあの悲劇が起こります。2007年9月15日、自宅周辺にて自身が操縦していた自家用ヘリが墜落し、39歳の若さで亡くなってしまいました。このヘリにはコリンの他に5歳の長男ジョニー、ジョニーの遊び友達、マクレー家の友人も同乗していましたが、全員が即死でした…。

 その死はいち早くインターネットで報じられ、フォード、シトロエン時代の同僚であったカルロス・サインツ(この人大好きです)、フォード時代から親交のあったペター・ソルベルグをはじめとするラリードライバーや各ワークスチームなどWRC関係者を中心に、同じスコットランド出身である元F1ドライバーのデビッド・クルサード、WRC参戦の経験もあるMotoGPを代表する選手、バレンティーノ・ロッシ(ロッシはコリンの死の翌日9月16日に行われたMotoGP 第14戦ポルトガルGPの勝利をコリンに捧げた)などラリー以外の多くのモータースポーツ関係者からも追悼の言葉が寄せられたそうです。下の写真は、スペインの英雄ラリードライバー、カルロス・サインツ(Carlos Sainz)です。似ていますが、カルロス・ゴーン(Carlos Ghons Bichara)ではありませんよ。あんな首切り魔とは一緒にしないでくださいね。
Carlos Sainz.JPG

 WRCもF-1も1980年代から90年代前半が面白かったなぁ。人間味あふれるドライバー、チーム…。子供ながらに毎回大興奮していました。今はもうビジネスの比重が高いのか、いまいちのめり込めません。ルールもまったくナンセンスですよね。同じ意見の方は多いはず!おっと、また話がそれました。すみません。 

 コリンといえば豪快なドリフトが代名詞でした。コーナー前からドリフトを開始し、コーナーの道幅を大きく使いほぼ横向きになりながらコーナーを通過し抜けていく彼のスタイルはファンを魅了しました。でも、最近のラリーを見ていると、ドリフトさせるドライバーが減ったような気がします。実際にグリップ走行のドライバーの方が成績がいいんですよね。コリンのようなドライビングは時代遅れなのでしょか。「アクセルでも何でもペダルは床まで踏む」が決まり文句でしたね。ここで、コリンのドライビングを少しだけ見てみましょう。はい、こちらです。片側が崖なのに、がんがん踏んでます。頭のネジが2~3本取れちゃった感じですよ。いやぁすごいです。


 興味ない方も、この映像を見たら少しは興味が沸くのではないでしょうか。一般道ですからね。一般道。助手席に乗っている人が前述のナビゲーターです。コース図を元に、ドライバーにコーナーのR(アール,半径)や左右方向などを伝えたりするのがお仕事です。ずーっと聞こえている声はナビゲーターの声です。ナビはドライバーを100%信頼していないとできない仕事ですね。ちなみに、コースによっては脇に観客が立っているときがありますが、たまに車が突っ込むときがあります。それで観客が亡くなっても、ドライバーの過失は問われません。また、コースアウトした車を観客が協力してコースへ復帰させたりする場面もよくみますね。危険ですが、観客とドライバーが一番近いモータースポーツではないでしょうか。さぁみなさん、DVD買って見たくなったでしょう。早速YouTubeで見てますか?こんな楽しいスポーツ、始めることは不可能でしょうが、今見ずに、いつ見ますか。
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