SSブログ
2011.03.11 東日本大震災 ブログトップ

最後の砦 自衛隊 [2011.03.11 東日本大震災]

 みなさんこんにちは usk です。今回は、福島第一原子力発電所の3号機への放水活動の中で、2011.03.17 に実施された陸上自衛隊のヘリでの放水についてです。防衛省が定める隊員個人の累積被ばく量である50ミリシーベルトを超える線量の中での任務でした。隊員の皆様には敬服します。


陸上自衛隊と警察庁の合同作戦
 加熱している使用済核燃料を冷却するために、2011.03.17 自衛隊と警察が放水を開始しましたが、警察の高圧放水車では十分に目標へ届かなかったため、作戦は中止されました。その前日までは、東京電力の社員が、懐中電灯の明かりを頼りに暗闇の中で、放射線量測定器の示す数値と時間と闘いながらの決死の作業を実施していました。


熟練隊員
 福島第一原子力発電所に海水を投下したのは、我が千葉県の誇る陸上自衛隊木更津駐屯地の第一ヘリコプター団所属の CH-47 Chinook(チヌーク)(*1) 輸送ヘリです。乗務員の選定には、志願制はとらなかったそうです。技術的に優れた隊員を19名選抜し、任務にあたらせました。
ch-47.jpg
     CH-47 輸送ヘリ

 「目に見えない危険は確かに怖いが、我々は最後の砦。行けと言われれば何としてでも行く」

これは陸自関係者の発言です。

 「与えられた任務を確実にこなすだけです」

隊員は陸自幹部へこう言い残して任務につきました。


現場上空の様子
 投下前、UH-60 Black Hawk(ブラック・ホーク) という多用途ヘリに東電社員が搭乗し、原発上空の放射線量の調査をしに離陸しました。測定された数値は即座に防衛省へ送られ、それを聞いて折木統合幕僚長は決断しました。

 「投下実施」


uh-60.jpg
     UH-60 多用途ヘリ


作戦高度には高濃度の放射線
 放射性物質が出ている原発施設への放水作業は未知の領域だったことでしょう。このため、隊員は約6~7キロのゴム製の化学防護服とマスクを身につけ、ヘリ内の座席には放射能を遮断するタングステン製シートを敷きつめました。
 海水を投下した300[ft](約90[m])上空は、直ちに健康に影響はないが、将来的に癌になる危険性が高まる100ミリシーベルトに近い、87.7ミリシーベルト。実際にはそれよりも低い高度での作戦だったようです。隊員たちは胸に線量計をつけ、常時放射能の数値を確認しながら活動しました。防護服を着用しながらで動きが制約されながら、現場上空では速度を落として原発に接近し、3号機のプールを目がけて水を投下しました。その後全速力で現場から退避したということです。

ch-47_housui.png
     バケットを吊り下げたCH-47

fukishima_no.1.jpg
     放水後の衛星写真

 このとき、投下させる高度や時間は機長の判断に任されていたそうです。午前10時の4回目の投下を終えるまで、投下開始から12分間。決死の任務が終わりました。

 帰任後、放射線量の測定を受けた搭乗員はみな1ミリシーベルト以下だったとのことです。これがどういう数字か私にはわかりませんが、確実に言えることは、通常よりもはるかに多い放射線を浴びたということです。後に至っても、健康被害が出ないことを国民は祈っています。



(*1)軍用ヘリの記号には以下のようなモノがあります。
  CH:Cargo Helicopter(貨物・輸送ヘリコプター)の略
  UH:Utility Helicopter(多用途ヘリコプター)の略
  AH:Attack Helicopter(攻撃ヘリコプター)の略
  OH:Observation Helicopter(観測ヘリコプター)の略


見えない敵 -形容しようのない恐怖- [2011.03.11 東日本大震災]

 こんにちは usk です。本日は東日本大震災から11日目です。少しずつですが、被災地への物資や燃料の供給が始まったようです。少しでも早く届けてもらいたいものです。買占めしている人間たちはそんなこと、これっぽっちも考えないんでしょうね。

 今回は、福島第一原子力発電所での決死の地上放水活動を実施した、東京消防庁のハイパーレスキュー隊について、みなさんと一緒に思いをはせます。

 今回の活動は、放水距離ぎりぎりの目標へいかに水をぶち込むかという難しさとと共に、見えない敵との戦いでもありました。ミッションを終え東京へ戻った隊員(隊長ら)の会見をご覧になったでしょうか。「無事にミッションは達成した」と胸を張りながら、「隊員の家族には心配をかけた、お詫びと感謝を」と涙で言葉を詰まらせた。

 各メディアの報道で、どのような作業だったかが少しずす見えてきます。当初の東京電力側からの情報では、水をくみ上げる海側までは車で近づけるはずでしたが、原発内はがれきで埋まり、進入はすぐに阻まれたようです。

 「ホースを手で広げるしかないぞ」

 その夜の作戦会議で、がれきを避け、海から放水車までホースを延ばすには被曝の危険が増す車外で作業を行うしかないという結論に達するまで4時間かかったそうです。海水を 3[t/min] で送出するホースは太くて重い。50[m] で 100[kg] だそうです。これを隊員4名で引っ張っていき、350[m] 分敷設する作業です。被爆の危険がある中で、です。作戦の決行は高山幸夫総括隊長ら約40人の隊員に委ねられました。

 「危険度を熟知する隊員の恐怖心は計り知れないが、拒否する者はいなかった」
 
 「常にそばでバックアップしてくれる仲間がいたからこそ達成できた」

作業は約15分で完了し、屈折放水塔車は白煙を上げる3号機に向け、19日午前0時半、放水を開始しました。20分で 約60[t] を放水しました。
sdf_housuisya.jpg
     これは昼間の活動の写真です


 「必ず帰ってくるから安心しろ」

高山隊長は任務に出る前、このように奥様にメールを送ったそうです。奥様からは「信じて待ってます」と短い返信があったとおっしゃってました。

 「日本の救世主になってください」

これは佐藤部長が奥様に福島行きを伝えたときの、返信の内容です。
この一言。

 会見で、冨岡隊長は「国民の期待をある程度達成できた、充実感がある」と報告する一方で、作戦に従事した隊員について「家族には本当に申し訳ない。おわびを申し上げたい」と涙ぐみました。また隊長は「家に帰ったら家族と酒を飲みながら反省会をしたい」と笑い、佐藤部長は「恐怖心を克服し任務に当たってくれたことに敬服の念を抱いている」と隊員らをねぎらっていました。

 私は、一連の報道、会見を見ていて涙が止まりませんでした。自分だけでなく、部下の隊員を見えない敵の真っ只中へ送り込む隊長の心の葛藤。隊員の抱く計り知れない恐怖。それを押し殺してなんとしてでも達成するという使命感。強靭な精神力。自己犠牲の精神。奥様の、家族を国へ捧げる覚悟。この稿を書きながらも、涙が止まりません。

国民が、プロフェッショナルの仕事を固唾をのんで見守っています。
現場で困難な業務に従事されている、消防、警察、自衛隊の方々が、一刻も早く無事にご家族の元へ帰ることができますように。



東日本大震災 TSUTAYAの馬鹿やろう [2011.03.11 東日本大震災]

 こんにちは、usk です。3 月 11 日 14 時 46 分ごろ、マグニチュード 9.0 を記録する大地震が東北地方太平洋沖で発生し、停電や火災、津波などの甚大な被害が生じました。
 この大地震で亡くなられた方々のご冥福をお心よりお祈りいたします。それとともに、ご遺族の方々、また被災された方々の一日も早い身体的・精神的な復興を、微力ながら応援いたします。

 自分には何ができるか…節電や買い溜めをしないことくらいしか思いつきません。なんと無力なのでしょう。なにもできない自分が悔しいです。

 さて、地震発生当日(だったかな?うろ覚えです)の、あの TSUTAYA の公式ブログに、次のようなツィートが載りました。

@tsutaya_2808 【阿佐ヶ谷ゴールド街店】 営業開始しました!テレビは地震ばっかりでつまらない、そんなあなた、ご来店お待ちしています!


みなさん、どう思いますか。
そして、その謝罪文がこれです。

先ほどは不謹慎な発言してしまい申し訳ございませんでした!気分を害された方たいへんもう申し訳ございませんでした!!!!!!!


これが謝罪?

 私、当該店舗に電話して店長と会話し、事実かどうかを確かめました。Twitter は匿名のアカウントゆえ、気の小さい人間による「なりすまし」が非常に多いためです。
 問い合わせの結果、この投稿は事実であることがわかりました。若いバイト店員の仕業とのこと。店長はその時不在だったため、投稿前のチェックができなかったと、泣きそうな声で私に語りました。
人間未満の生物を雇った責任は、やはり店長にあります。

私は決めました。
金輪際、TUTAYA は利用しません。
消えてなくなるよう、祈ります。
制裁が必要です。


バイト店員のご両親へ
あなた達、とんでもないモノを生産してしまいましたね。


2011.03.11 東日本大震災 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。